団体設立者インタビュー
ブログリレー 第21回
OB・OGインタビュー
今回のOB・OGインタビューは、団体の設立者の一人であり一期生の大平拓実さんです。
団体の設立や、現在の進路についてお話を伺いました。
―――それでは、本日はよろしくお願いします。早速ですが、日本マラウイ学生団体の設立時のビジョンや設立の経緯について伺いたいです。
団体の設立は、学類の同期だった友人から、一年生の時に国際協力の団体を作りたいと誘われたのがきっかけです。ただ国際協力と一口に言っても、具体的に何をすればいいのかよくわからなかった。
何をすればいいのかを知るためには、「現地」の人々がどのように暮らしていて、彼らが何を考えているかを知らなければならない。そこで、人々の暮らしぶりを知るために二人でマラウイに渡航しました。
そういう経緯で、最初に渡航する時には、新しい団体のビジョンとして明確なものはありませんでした。国際協力団体を作りたい、でも本当に「現地」の人たちがそういう団体を必要としているのか分からない、と思ったのが最初です。
―――なぜ、国際協力団体をつくりたいと考えたのですか?
丁度今お話したことを踏まえて端的にお答えすると、「国際協力の活動をしてみたいと思ったから」です。そうした思いを基点に始まった団体でした。
もう少し個人的なお話をすると、もともと高校生の頃から世界史が好きで、特にイギリスなど列強諸国が展開する帝国主義の動きに興味を持っていました。
ただ、そこでその列強がアフリカの国々などを侵略していくことに疑問を感じ、被侵略国に対して同情、といっていいのか分かりませんが、何か心が痛むような感覚があったんです。そこから、自分の目で実際にそうした、侵略されてしまった側の国を見てみたい、何かしてあげたいという思いがずっと蓄積されていました。それが国際協力団体で活動してみたいという動機に繋がりました。
実は、マラウイに渡航した後も、結局自分たちはいったい何をすればいいのか明確な答えは見つからず、なおさら思考が拡散してしまいました。
ただ今では、見つからなかったのは当然のことだし、むしろ見つからず良かったのではないかとも思っています。なぜなら、「現地の人たちのことを知らないから何をすればいいのか分からない、だから渡航しよう」という考えは、結局「途上国の人たち、マラウイの人たちは何かを欠いていて、私たちはその欠如を見つけに行くのだ」という考えに無意識に繋がっていたのだ、とはっきりと気づかされたからです。
実際に見てみるとイメージと違ったことも大きいかもしれません。
―――わかります。私も去年渡航をして、実際に自分の目で見ると想像とは違ったことが多くて、驚かされました。
そうなんです。実際に見てみると違うことってありますよね。なので、色々考えた後に、実際に「現地」に行ってみて経験を得る、いわば大学生の国際協力への間口を拡大するという団体の一つの存在意義が、その最初の渡航の後にできました。
そして、私たちと同年代の人たち、特に大学生同士の交流という意味で、日本とマラウイの架け橋というビジョンが醸成されました。
(お話しの通り、団体のOB・OGには、直接的にも間接的にもアフリカや国際協力に関連する研究や進路を選択された先輩方が多くいらっしゃいます。団体の存在そのものが団員の人生を左右する選択に少なからず影響を及ぼしているなあ、と改めて感じました。)
―――では次に、渡航当時の印象的なエピソードなどあれば教えてください。
日本との教育環境の違いに驚きました現地の学校では、小さい教室に200人近くの小学生がぎっしり並んでいて、先生が持っている一つの教科書だけで授業が進められていたんです。
私が経験してきた教育環境と今見ているマラウイの教室の授業風景の違いに衝撃を受けました。そして、自分のこれまでの教育環境について特段悩む必要すらなく、授業を受けることが出来ていた自分が、いかに恵まれた者であるのかということに気づかされました。
―――なるほど、そうした体験は、現在のキャリアや研究とも関連してきているのですか?
はい。私はこれからイギリスの大学院で、教育開発を専攻し、インクルーシブ教育という教育形態をテーマに研究する予定です。教育開発、そしてインクルーシブ教育に興味を持ったきっかけがそれぞれあります。まず教育開発という分野に興味を持ったきっかけは、先ほどお話ししたように、自分が受けてきた教育とマラウイで見た教育環境の違いがとても印象に残り、この違いは一体何なんだと考え始めたことです。
―――もう一つの、インクルーシブ教育に興味を持ったきっかけは何だったのですか?
インクルーシブ教育の考え方に本格的に興味を持ち始めたのはケニアでのインターンがきっかけでした。これに関しては、インターン先の団体の活動そのものと個人的にある家族を訪問した時の二つが影響しましたね。
僕は半年休学して、ケニアで障害児に対する教育支援を1つの活動の柱としているNGOでインターンをしていました。その団体で学校にいる障害児の教育のモニタリングを行い、状況を改善したいと思ったのが団体自体から得た経験です。
もう一つは、学校から障害があることを理由に入学を断られた青年との出会いが影響しています。
その青年は自分と同じくらいの歳だったのですが、三歳から脳性麻痺という障害があり、それによって椅子に座ることが出来ないため、それからずっと入学を断られていたと彼の親が話していました。
そんな彼ですが、ご家庭で彼や彼のきょうだい、親御さんたちの様子を見ていると、ちゃんと家庭内で彼自身が任されている役割があり、周りも彼を親やきょうだいと同じように受け入れ、接していました。
その時、この家庭環境においては、特段彼のことを「障害者」として括って見る必要がどこにもないように感じられたんですね。
学校という環境からは障害を理由に入学を断られていたけど、家庭内においては障害という考え方そのものが消えているように見える、この対比から、「学校環境がこの青年の家庭環境のように変わることが出来れば、あの青年も学校に通って教育を受けることが出来るのではないだろうか」という発想に繋がりました。
既存の環境に合わせて人が変わるのではなく、その人の特性に合わせて学校環境の方を変えていくことが必要だと考えるようになりました。学校が変われば、彼も通学できるようになるはずです。環境を整えることが大事なのだと思いました。
実は、この発想はインクルーシブ教育の考え方と似ていて、そこからインクルーシブ教育に興味を持ち始めたんです。
―――とても興味深いお話ですね。大学院卒業後も、そうした分野で就職し、海外で活躍したいとお考えですか?
進路については迷っているのが正直なところです。
最終的には教育における、社会におけるインクルージョンを達成していきたいと考えているのですが、その達成にむけて開発分野に進むのがいいのか、はたまた他の進路を選択すべきか、できるだけ広く考えようと思っています。
どんな風にその目標に関わっていけるか、日本で働くのか、マラウイやケニアで働くのかもまだ考えている最中です。
ただ、自分が達成したいこと、探求したいことを模索し、自分の大切な人たちの意見も尊重したいなとは思っています。
―――ありがとうございます。それでは最後に、後輩へのメッセージをお願いします。
まず、良い団体にする上で不可欠だと思うのですが、自分はどういったやり方で、どういった側面から団体に貢献できそうかを考えてもらえると嬉しいです。
また、自分が目指すものややってみたいことを実現するためにこの団体をどう「経験しつくすか」を考えることも大事だと思っています。
そして、周りにいる仲間を大切にしてほしいなと思います。私にできることであれば、ご相談に乗りますのでご連絡ください。
大平さんはインタビューの一週間後にはイギリスへ出発される予定で、ご多忙の中取材を受けてくださいました。この取材を通じて、大平さんの考えの奥深さと柔軟性に驚かされるとともに、自分の進路や今後の団体の在り方を考え直す契機にもなり、大変勉強になりました。改めて、インタビューを受けてくださりありがとうございました。
5期生 2年 かおる
次回はブログリレー最終回のOB・OGインタビューです。
ご期待ください!
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